発見 小貝川べりに突然現れる 緑の豊田城

 小貝川べりに突然現れる 緑の豊田城
 関東鉄道常総線石下駅徒歩10分 2009年12月29日(火)発見
 常総市新石下2010
 地域交流センター
 入館料400円
 平成4年開館 


《 筑波方面に走ると突然左側に川の先に緑の城が見えます 09.12.29撮影 》

 この城は模擬天守で、正式名称は地域交流センターです。



《 立派な城である 最上階の高欄から筑波山、富士山、日光連山が見えます 》

 この一体を支配した桓武平氏一族の豊田氏が築いた城が豊田城と呼ばれていたため、この名称が付きました。



《 唐破風 五層で七階建ての城で大阪城のような造りです 》

 当時の豊田城は、このような天守閣ではなく、カヤ葺きで小貝川の水を要塞としたものであったとされる。



《 正面から見ると巨大さが分かります 》

 天守閣(48m)の右に付け櫓、左に渡櫓と大きめの櫓(やぐら)を配す。



《 天守閣の側に櫓(やぐら)を配置します 》

 1階は取り付け格子で敵襲に備え、侵入を防ぎます。



《 入母屋破風が大きく中から外が見えます 》

 エントランスに、ナウマン象の化石がある。1階の奥は多目的ホールになっています。



《 御影石(花崗岩)を使った石垣風です 》

 3階は歴史コーナー。原始時代から現代に至るまで、石下の歴史が紹介されています。



《 1階ロビー 内部は城の要素はまったくないです 》

 人形のジオラマがたくさんある。縄文人や江戸時代の農民です。



《 1階ひさし部分 城の延長で木製で作られています 》

 戦国時代の古間木城のディオラマが面白い。最上階には高欄(ベランダ)があります。



《 魔除けの紋様として旧石下町の石の文字が入っています 》

<評価 60クラス>
 旧石下町はイシケマチと呼ばれ、イシは砂河原、ケは作物・食物の意味があり、農耕に適した土地であったことが考えられるという。合併し常総市となったが、古くは平安時代中期の関東の豪族平 将門など板東武士発祥の地として、街興しを図ったのでしょう。小貝川や国道沿いなど各所に櫓(やぐら)風倉庫が点在しています。風景としては唐突な感じですが、豊田城にある程度の根拠があり、地域の景色に合っていれば、街興しの意義はあります。

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