荒川ストーリー10 荒川大里地区の用水路 六堰頭首工

 荒川大里地区の用水路 六堰(ろくぜき)頭首工
 秩父鉄道永田駅徒歩10分 2009年7月19日(日)歩く
 埼玉県深谷市永田3-5
 平成16年建築


《 六堰頭首工 6つの取水堰が圧倒的な迫力です 09.7.19撮影 》

 六堰は、埼玉県深谷市の荒川にある堰の総称です。江戸時代初期に荒川から6つの農業用水に水を分けるために作られた6つの堰です。川の北側の奈良堰、玉井堰、大麻生堰、成田堰の4つと、南側の御正堰、吉見堰の2つです。その後昭和4年に六堰をひとつにまとめました。



《 奈良用水 熊谷奈良地域に行く農業用水路です 》

 400年ほど前の江戸時代初期、大里地区の用水路と6つの堰が作られました。



《 水位メーターは重要 開口面積と流速で水量を管理できます 》

 その後たびたび、渇水等のために水争いが絶えなかった。農業用水なので当然です。なかでも、印象的なのが1837年、今から172年前の6月に起きた争い。最後にできた成田堰がいつもかわいそうなので、ある期間を定めて上流の堰を締めて最後の成田堰に行かせようとなった。
 しかし、期間中になると当時のことだから、情報を知らない上流の堰の村民が下流から見ながら歩いて来て堰を開けてしまった。成田堰もそのうち、水が来ないので、見に行って怒って相手の堰を閉める。また期間が来ても、水が十分ではないので、他の堰を閉めたりするうちに、堰を壊すなどして刃物ざたになった。しかし、最後には、突然の雨で争いは納まったという記録があるそうだ。
疑心暗鬼という言葉があるが、172年前のこととはいえ、情報伝達の重要性という点では現在でも参考になります。



《 六蹟右岸の魚道 魚が遡上できる魚道は生態系に重要です 》

 明治44年には、御正用水の改修工事が行われた。そして、昭和14年に六堰をひとつにまとめ、六堰頭首工が完成します。江南サイホン、用水の工事を開始しました。



《 越流堰は水位の高低により自動的に配分する機能です 》

 昭和8年、この年は旱が続き、荒川の水も渇水し、田植えも出来なくなった。そこで、川の北側と南側の3000人もの村人が集まり、鍬や鎌を手に持ち、竹竿に赤い布を結んで旗代わりとし、石を投げ合った。多数の負傷者が出てという。



《 取水堰や排水機場は国土交通省により広報拠点になっています 》

 昭和14年には、江南サイホンと用水が完成し、平成6年には、新しい六堰や用水路の改修工事が始まりました。



《 六蹟で取水後の用水路 音を立てて流れます 》

 平成11年の大雨で水圧に耐え切れなくなった六堰の一部が流された。江南サイホンも川底が低くなり、コンクリートが古くなっているため洪水で流される危険がありました。



《 有名な江南サイホン 荒川川底を通って南側の御正堰、吉見堰へ続きます 》

 大雨の後、江南サイホンが流される危険や、用水が古いために漏水が多くなっていたり、生活排水が流れ汚染してきました。



《 江南サイホンのコンクリート飾りは模様が多様です 》

 そして平成16年に六堰と用水路改修が完成しました。



《 北側の奈良堰、玉井堰、大麻生堰、成田堰へ分流されます 》

 六堰には魚道も併設されました。



《 江南サイホン付近の荒川 川砂利の採取で川底が削られました 》

<評価 60クラス>
 現在でも、荒川の一番の課題は渇水です。コンピューターにより、ダムと連動し農業用水の枯渇や荒川の瀬切れがないようにしているという。

ブログ気持玉

クリックして気持ちを伝えよう!

ログインしてクリックすれば、自分のブログへのリンクが付きます。

→ログインへ

なるほど(納得、参考になった、ヘー)
驚いた
面白い
ナイス
ガッツ(がんばれ!)
かわいい

気持玉数 : 0

この記事へのコメント


この記事へのトラックバック