荒川ストーリー6 荒川流域の地場産業

荒川流域の地場産業
 一般に、産業は、時の政権や時代の変化に大きく左右される。江戸時代、江戸の後背地として位置づけられる埼玉は、新田の開発や荒川を利用した舟運により、膨張する江戸の消費を賄った。現代に残る特産物や地場産業は、その頃の産業を色濃く残したものも少なくない。
 戦後の高度経済成長の時代を経て荒川流域は大きく変貌したが、その根底をなす流域の産業を知ることは、未来の荒川流域の町おこしの良い参考になるといえる。

1 西川材(入間川上流の山間地域)
 江戸時代、筏(いかだ)で組んで流送されたため「西の方の川から来る材」であることから、江戸で名付けられた。
 度重なる江戸の大火や人口増は、地の利の良い「西川材」の需要を増大させ、入間川上流部は江戸への一大材木供給地になった。近年は外国材の輸入などから、産業は縮小している。

2 秩父銘仙(秩父地方)
 鉄分などの不純物が少なく炭酸カルシウム分が多い荒川の水は、染色に適している。古くから養蚕や絹織物が盛んだった秩父地方では、色と艶を出すために荒川の水を使って染色を行った。
 大正から昭和初期にかけて「秩父銘仙」は絶大な人気を誇り、家庭着として全国に普及した。



〈 秩父銘仙 大正昭和時代に和服ざぶとんなど家庭内で多用されました 09.04.25撮影 〉

3 天然氷(長瀞町)
 汚い水は川に流さない、という秩父の人たちの川への信仰心は大正の頃まで維持され、川の水を使った天然氷の採氷を後押しした。
 採氷は江戸時代末期から始まり、大正末期には32ヶ所でつくられ2,700トン切り出されたという。冷蔵庫の普及で現在は1軒の業者が残るだけになってしまった。

4 小川和紙(小川町)
 槻川(つきがわ)の清流を「楮(こうぞ)」のさらし場にして、農家の副業として行われてきた和紙づくりは、江戸での紙の需要の増加とともに、地場産業として大いに発展した。
 手間のかかる和紙づくりであるが、手すきの良さと質の高さで人気を呼び、襖下張り用の紙は全国の8割を占める。

5 熊谷染(熊谷市)
 木綿や藍の生産とともに、水洗い用の水が豊富だった熊谷では、染色業の歴史は古く、鎌倉時代から行われていたという。
 戦前は、荒川大橋下流の「友禅流し」や、星川に流れ込む泉のほとりで行われる糊抜きが風物詩になっていた。昭和53年、埼玉県伝統的手工芸品に指定。

6 紅花(桶川市)
 武州紅花(ぶしゅうべにばな)の始まりは天明5年とされる。当時も今も紅花の産地は山形県。それでも桶川市、上尾市を中心とした武州紅花の最盛期には年間、約500駄(1駄は馬1頭に背負わせられる重量、約135キロ)、もの取引があったという。1駄60両として現在資産で24億円。幕末期には国内第2位の生産高となった。
 明治時代に入って後すっかりその姿を消してしまった武州紅花を復活しようと、桶川市では「べに花の郷づくり」が始まっている。

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