法学 日本の法制 律令の沿革

 日本の法制 律令の沿革
1 律令制度の始まり
 律令は、律は刑法、令(りょう)は行政法に相当し、どちらも古代中国で発達し、隋・唐の時代に大成した法制度である。その後、中国から次第に東アジア諸国に広まり、国土の混乱を治める中央集権国家の法典として各国に用いられた。
歴史上最初の律令は、中国の西晋が268年(泰始4)に制定した泰始律令である。これ以前の中国法制では特に律と令の区分はなかったが、このとき初めて、社会規範を規定する律と統治体制を規定する令が明確に区別され、体系的な統一法典として律令が登場することとなった。西晋が滅亡した後も南北朝時代の諸王朝によって律令が制定・公布された。
日本においても大化改新(645年)以降に急速に導入され、格(きゃく-律令の改正)と式(律令の施行細則)と合わせたものが基本的諸法典とされ、国家統治の基本法となった。
  律令を統治の基本法典とする国家を律令国家と呼ぶ。国家組織に官人が非常に多く、人民を個別の身分に定める人身支配を徹底したことが特徴のひとつに挙げられる。


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《 奈良・平安時代の役所 律令時代の地方統治の象徴です 09.3.1撮影 》

2 人身の身分
2.1 良民と賤民の区分
律令の身分制は、直接には条文によって、人民を良民と賤民に二分している。良民は皇族から一般庶民までという広い範囲を指し、全体の9割を占めた。賤民はいわゆる「五賤」、つまり①陵戸(りょうこ)、②官戸(かんこ)、③家人(けにん)、④官奴婢(かんぬひ)、⑤私奴婢(しぬひ)の5階級であって、全体の1割程度であった。
特徴として、
 ①陵戸は治部省の諸陵司(諸陵寮)に属し、課役の代わりに山稜の警備を担当。
 ②官戸は官奴司(かんぬし)に属して労働に従事するが、班田法で授けられる口分田は良民なみで、76歳で放免され良民となる道がある。
③家人は一般農民に隷属し、相続の対象とはなっても売買はされず、家族生活を営むことが許された。
 ④官奴婢は官戸と同様に官奴司に隷属して重労働するが、官戸より待遇が悪く班田収受その他は私奴婢と同じ。66歳以上は官戸に昇格する道がある。私奴婢が官に買い上げられた者、または重罪の犯人やその縁者として身柄を没収された者が多い。家族生活は許されない。
 ⑤私奴婢は最も一般的で単に奴婢ともいう。
班田収受は奴・婢とも良民の男女のそれぞれ3分の1である。租税の負担はなく、売買の対象となり、椽色(つるばみ-薄墨色)の衣を着るとされている。
賤民の中には奴隷のように金銭や稲で売買された奴卑もいたが、多くは家内使用人であって、奴隷制度下の奴隷のような大量の人が厳しい労役を課される身分ではなかった。また、賤民には良民との婚姻は禁止され、当色婚を原則とするなどの身分上の制約があったが、無視するものや逃亡する者、賤民からの開放政策などがあり、賤民の数は次第に減少し、制度上の重要さは薄まったものとなった。

 2.2 官制組織と地位
 律令は国土の混乱を治めるための中央集権的な法典である。官制の組織は中央・地方とも巨大でかつ重要なものであった。
(1)中央官制の組織
 中央官制は総称して、二官八省一台五衛府の制といわれる。二官は祭祀・ト兆を司る神祇官(しんぎかん)と八省国郡を統括する太政官(だじょうかん)である。神祇官は形式的な面が強く、太政官が複合的に実質の統治に当たった。八省は行政事務を分掌する組織で、中務・式部・民部・兵部・刑部・大蔵・宮内に分かれる。一台は弾正台で官吏の不正を取り締まる。五衛府は宮城を守る護衛兵で、衛門・左右の衛士・左右の衛兵で成る。
(2)地方官制の組織
 地方組織は、一般組織と特殊組織に分けられる。一般組織は国・郡・里の3等級があり、家が単位戸数で里、里の集合によって郡、郡の集合によって国が構成される。
 特殊組織は特殊行政地域を担当し、京師にある京職、難波京にある摂津職、都城にある太宰府の3つがある。官制は国には国司、郡には郡司、里には正式な官制ではないが里長が置かれた。
(3)官制の地位
 官司の地位は、中央・地方とも原則として、長官・次官・判官・主典と称する今日の管理職相当の4等官と、それに準ずる史生(ししょう)、平役人の史部(しぶ)・直丁(じきちょう)等から成っている。また、物品を生産する場合には、伴部(とものみやっこ)と呼ばれる技官と、雑戸(ざっこ)と呼ばれる力役提供者が置かれる。

2.3 官位相当制と位階
官位令には一定の官職に就くための条件として、位階が定められている。たとえば、大納言は正三位、弾正伊は従四位、、主計頭(かぞえがしら)は従五位等々であって、これを官位相当制という。
 大宝・養老の律令では冠位制を廃止して品位制が採用され、一品より四品にいたる親王位、正一位より少初位下にいたる30階の諸王諸臣位、外官に与えるための五位以下の外位(げい)が定められている。これら位階によって官位は定まり、高級貴族、中級貴族、下級官人、そして官人になれない一般庶民の4階級が生まれることになる。
 官位制においては、三位以上を貴、五位以上を通貴と称するが高級貴族は貴の地位に昇格できる家柄、中級貴族は通貴に昇りうる家柄、下級官人は努力しても六位以下の家柄、一般庶民は最下級官位さえも得ない家柄と区別することができる。
(1)高級貴族
  前代の大化改新や壬申の乱を無事乗り切って、八色の姓の宿禰(すくね-八姓の第3回目)以上の貴姓を得た大豪族の子孫や臣籍となった元皇族等で構成される。三位以上は刑法で保護を受け、また、経済上の特権も大きかった。多くは官位相当制によって太政官の議政官の官職が与えられるから、政治経済上の地位はさらに高められた。
  高級・中級貴族の特典は、位階が子にほぼ相続できたことである。蔭位制(おんいせい)と呼ばれる制度で、蔭とは父あるいは祖父のお蔭によって、子孫が成年に達した時に、位階に相応して一定の位階が与えられることを意味する。一位嫡子は従五位下、庶子は正六位上で、五位以上の者の子孫に恩恵があった。
  したがって、この蔭位制によって高級・中級貴族層の子弟は、その後年功を積むことでその官途の終わりには父や祖父の位に達し得たのである。
(2)中級貴族
  高級貴族と同様に宿禰程度の貴姓を持つが、勢力のやや劣る氏族である。中堅貴族や高級貴族の傍流によって形成される。この階層は五位に達することで位田位禄を受けるし、官位相当制によって多くは中央官司の長官・次官の地位を占めた。子や孫は高級貴族と同様に、蔭位制によって既得権を相続できる。
  位階を授かる方法としては、蔭位制のほか貢挙制と呼ばれる実力登用制があった。これは諸国の学生が国司の推薦などにより式部省の試験を受け、合格者が位階に叙される制度である。しかしながら、最優秀で合格しても蔭位制の位階により、はるかに低いものであったことは、身分制の強さを示す象徴でもあった。
(3)下級官吏
  下級官吏は前代の小豪族や特別の技術者の子弟であり、八色の姓の忌寸(いみき-第四目)以下の卑姓の人々である。律令の処遇において、中級貴族の上がりうる五位と下級官人の六位以下とでは大きな差があり、下級官人の経済的特権は位禄の給与と、成人男子を標準として課される人頭税を免除される程度であった。しかし、その彼らも官位相当制によって、八省の判官程度には昇進することができた。
  下級官人には蔭位制は認められていない。その代わり位子の制度がある。六位以下の子弟は21歳に達すると、一定の選考を経て大舎人・兵衛・使部等の官職を与えられる。その後、年功を重ねれば位階を得られ、事実上親の位階を相続することができたのである。
(4)一般庶民
 官人の末端になることさえも困難な家柄であって、その大半は農民である。律令はたてまえとしては徳行才登用主義を採っているが、実質的には上述のとおり蔭位制や位子制度によって位階の相続を認めている。したがって、一般庶民は貢挙制によって官庁の推挙を受けるか、自己の才能・財力によって官人になる道しか残っておらず、わずかに成り得た地位も「力田の輩」と呼ばれる新興階級位に過ぎなかった。
  一般庶民の多くは、白丁(はくちょう)、甲乙人(こうおつにん)、凡下(ぼんげ)等と呼ばれ、支配される階級にとどまり続けたのである。
 このように、律令制度は国土を統治するためにできた中央集権的国家のシステムであり、官人が人民に対して個別の身分に定める人身支配を徹底したことが特徴のひとつに挙げられる。

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