荒川ストーリー2 源流から河口まで(上)

  源流奥秩父から河口東京湾まで(上)
 1 荒川の洪水と渇水について




《 荒川は母なる川 近年は瀬切れが生じ渇水が問題です 09.2.28撮影》

 荒川はその名のとおり荒ぶる川である。奥秩父の山中に端を発し、扇状地末端の熊谷付近より下流域で、しばしば流路を変えた。東京を始め関東平野の開発は、氾濫・乱流を繰り返す川をいかに治め、川の水を利用するかにかかっていました。

 明治以降国資料によると、大きな出水は13洪水が観測されている。そのうち、近年の大洪水として記憶に新しいのは平成11年8月洪水である。この洪水では、三峰観測所で総雨量498mmを記録し、熊谷及び治水橋の水位観測所では開始以来最高となる水位を観測した。

 一方、近年は荒川ではたびたび渇水が発生し、首都圏では渇水のたびに取水制限がとられた。広範囲の地域で給水制限や断水など、人々の生活に影響を及ぼした。荒川中流部の荒川大橋付近では、渇水時に河床が露出してしまう瀬切れが発生し、多くの魚が逃げ場を失って斃死するなど、川の生態系にとって重大な問題となった。これから、流路に沿って荒川の源流・奥秩父から中流域・寄居玉淀ダムまでを概説(上)する。
 
 2 源流点と起点
 荒川は源流から河口までの長さが173㎞である(全国15位。日本一は河川法上信濃川367 km)。流域面積は2,940平方キロメートル。荒川の源流は甲武信岳(こぶしだけ:標高2475m・県内2位)である。甲州・武州・信州の国境にあるので、その頭文字をとって甲武信岳と呼ばれている。現在でも、山梨県・埼玉県・長野県の境になっている。また、この山は3つの川の源流にもなっている。

 1つは荒川である。甲武信岳の中腹に真の沢(しんのさわ)という沢があり、起点に源流点の石碑(標高2,200m)がある。県境より埼玉県側に降った雨は、地面に浸み込み、再び湧きだして川となり、最終的には東京湾に流れ込む。荒川は埼玉県の「母なる川」といわれるが、荒川流域の85%が埼玉県(東京都は15%)になる。県境より山梨県側に降った雨は、笛吹川となり、富士川に合流して駿河湾に流れ込む。長野県側に降った雨は日本一長い川、千曲川(河川法上は信濃川)となって、日本海に注いでいる。

 3 荒川の源流地域と人々の暮らし
 源流地域は、雨を貯える水源地帯である。山々に降った雨は地面にしみ込み、その多くが地中に貯えられる。水はやがて湧き出して一筋の流れとなり、次第に水を合わせながら荒川へと成長し、私たちのくらしの水となる。冬期の降水量が少ない関東地方でも、絶え間なく川が流れているのは、この山々の貯水機能のおかげである。

 甲武信岳から秩父市荒川の三峰口付近までを源流地域と呼ぶ。源流地域には自然と一体となった人々の暮らしが息づいている。人々は大切な緑の財産を育て、大切なくらしの水や大地の豊かな実りを支えてきた。一方、山間の急斜面では、畑を耕すのも困難であり、人々は厳しい山里の生活を強いられる。そのため、過疎化・高齢化が進み、水源の森を守る担い手が激減しているという問題も生じている。

 4  荒川の起点~一級河川荒川のはじまり~
 荒川の起点は、入川(いりかわ)と赤沢谷(あかさわたに)が合流する地点・赤沢谷出合にある。河川法で決められた荒川はここから東京湾まで173㎞の範囲。合流点のすぐ下流・左岸側に、埼玉県が建てた荒川起点の石碑がある。

 河川法で荒川の範囲が決められる前は、真ノ沢と股ノ沢合流点から、滝川の合流点(川又)までの間は、入川(いりかわ)と呼ばれていた。今でも一般的には入川や入川渓谷の名で親しまれている。

5 二瀬ダム
 荒川と大洞川(おおほらがわ)が合流したところにせき止める形で二瀬ダムがある。ダム湖は秩父湖という。多目的ダムとして荒川流域で一番初めにつくられたダムで、昭和36年(1961)に完成した。はじめにダム建設が計画された背景には、戦中・戦後の重要課題であった電力の安定供給があった。しかし、昭和22年(1947)に来襲したカスリーン台風によって、関東平野一帯が水浸しとなる大きな被害を被ったことを受けて、二瀬ダムは、発電・洪水調節・かんがい用水の確保を総合的に行う機能をもった多目的ダムに変わった。

 二瀬ダムの向こう側の中津川につくられているダムが滝沢ダム。完成し、平成20年 4月から試験放流を開始した。平成21年3月現在試験貯水中である。秩父市内には二瀬ダム、滝沢ダムのほか、浦山ダム、合角ダムの計4ダムがある。

6 三峰口 
 奥秩父にある駅が三峰口駅。秩父鉄道の終点である。また、ここがちょうど山地と秩父盆地の境界になっている。これより上流は急峻で、ⅴ字形の谷がつくられているが、下流は平坦な土地が広がっている。地質的にも境界になっており、秩父帯・中古生層(3.6億~1.5億年前に堆積)という古くて固い地層と、第三紀層(1700万~1400万年前に堆積)という新しくて柔らかい地層の境目になっている。

7 河岸段丘地域と人々の暮らし
 源流地域から深い渓谷を刻みつつ流れてきた荒川は、秩父市荒川の三峰口付近から秩父盆地へ流れ込み、両岸に幾段もの河岸段丘を形成する。秩父市や皆野町の市街地はこの段丘上に広がっている。長瀞町より先は、硬い結晶片岩を削りながら長瀞や玉淀などの美しい渓谷を形成し、寄居町から一気に関東平野に流れ出る。

 この秩父市の荒川三峰口から寄居町小園付近までの区間を、河岸段丘地域と呼ぶ。河岸段丘地域において、荒川は広く深い谷底を流れているため、人々が荒川本流の水を利用することは難しく、湧水や沢の水、ため池の水を生活や産業のために使っていた。また、荒川によって人々の交通は分断さら、渡しや仮橋が長い間荒川を渡る手段であった。その一方では、木材を筏に組んで運搬する筏流しをはじめとして、荒川は物資を運ぶ水運の道として盛んに利用されていた。

8 秩父市街地 
 奥秩父から流れ込んだ荒川は、旧荒川村の武州日野駅付近から川幅が広くなり、国道140号線の北側を沿うような形で流れていく。秩父市街地は川の南側に広がっている。荒川と国道299号線の交差点に、ハープ橋といわれる秩父公園橋がある。秩父市街がひろがっているところは、河岸段丘という、川がつくった地形。市街地南側の羊山公園がある少し高いところも、実はかつて荒川の川原であったところで、中位段丘と呼んでいる。さらに尾田蒔(おだまき)丘陵といわれる高い部分も、約50万年前に荒川の川原であったところで、高位段丘と呼んでいる。

 秩父市街地から約3km南側に山頂が平らになった山・武甲山(ぶこうさん)がある。セメントの材料となる石灰石を採掘しているために、平らになった。そのふもとにあるダムは、平成10年(1998)に建設された浦山ダム。ダムの高さ(浦山156m。二瀬95m・滝沢140m・合角60.9m)は日本で2番目である。

9 長瀞
 皆野町を過ぎ北上し、長瀞から寄居までふたたび荒川は峡谷の中を流れるようになる。長瀞は三波川(さんばがわ)変成岩類(いわゆる三波石)という固くて大変きれいな岩石からできているためで、長瀞の岩畳という景勝地ともなっている。有名な長瀞ライン下りは秩父鉄道の橋梁の下がスタート地点になっている。ただし、この辺りは渓谷であるため、昔から交通の難所であった。特に寄居町の波久礼(はぐれ)は崩れやすく、鉄道を敷く際も、この地点をなかなか越えられなかったという。



《 荒川・六堰(ろくせき)取水口付近 治水用水は常に為政者の大問題でした 》


10 玉淀ダム
 秩父鉄道・波久礼駅を過ぎ、ようやく荒川は山地から平野へ出てくる。その場所につくられているダムが玉淀ダム。昭和39年(1964)に設置されたゲート式ダムで、それまで水を得ることが難しかった櫛引台地などの農業用水を確保するためにつくられた。このダムも水量調節を再現することが出来る。国道254線と荒川の交差が玉淀大橋です。

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