法学 法治主義への批判 アメリカ・イギリスに見る陪審制度

 法治主義への批判 アメリカ・イギリスに見る陪審員制度
1 陪審は基本的人権
 英米法の中核となるコモン・ロー(普通法)の考えは、陪審制度を通してできあがった判例法である。したがって、英米法を理解するには陪審制の知識は欠くことができない。
 陪審制とは、裁判官と通常12人の一般市民からなる陪審との協力によって裁判する制度であり、英米では基本的人権の一つとなっている。日本においても、大正12年に刑事事件に陪審法が制定され、昭和3年10月1日から施行されたが、国民からはあまり歓迎されず、実際に行われた裁判の数も少なかった。その後、戦争が終結した後も復活されることなく今日に至っている。

《 陪審制度の最も重要なメリットは国民の法の常識化です 》

2 対象事件は刑事と民事 
 英国および米国の陪審制の特徴を考えよう。まず対象とする事件は刑事と民事の両方である。日本の陪審制は刑事のみであったので、この点大きく異なる。もっとも英国・米国ではコモン・ロー裁判所においてのみ陪審裁判が行われたので、今日でも衡平法(=こうへいほう、コモン・ローの国王裁判所とは別の大法官裁判所で作られた裁判例)の事件は扱わない。
 また、陪審制で扱う民事事件のうち、取引に関する事件は今日では複雑に技術化した問題を含むことが多く、素人である陪審員が判断するには適さなくなっている。 
 英国では権利として陪審裁判を請求できる民事事件の種類を限定している。米国でも民事事件について連邦及びほとんどの州で、係争額が一定以上のコモン・ローの事件について憲法で陪審制度を保障しているが、実際には民事事件については、陪審制によることを放棄する場合が多くなっている。

3 小陪審と大陪審
 陪審制には、裁判過程に関与する陪審、つまり審理陪審と刑事事件について起訴不起訴を決定する起訴陪審の二つの制度がある。審理陪審の陪審員の数は通常12人であるが、起訴陪審は通常12人以上23人以下である。審理陪審の方が少ないので、審理陪審を小陪審、起訴陪審を大陪審という。
 大陪審の手続きは非公開で、被疑者及び弁護人の出席も許されずに行われ、かつ検察官の提出する証拠のみを資料として起訴するか否かを決定する。今日においては、費用がかかるのみで被疑者保護のためにはそれほど大きな意義は持たなくなってきている。
 そこで、英国では1933年の法律で、大陪審制度を廃止した。
 しかし、米国では連邦憲法修正第5条が連邦事件について、『死刑に当たる罪その他不名誉な罪』について訴追するには、大陪審の起訴によらなければならないと規定している。そして連邦刑事訴追規則には、この不名誉な罪とは1年を越えまたは重労働を伴う拘禁の罪に当たる罪であるとしており、大陪審の構成を16人以上23人以下と定めている。州の刑事事件については、州憲法で連邦同様に大陪審による起訴を保障している州もあり、また、大陪審による起訴を保障していない州もある。

4 裁判官による説示
 陪審裁判の手続きは、まず
 (1) 陪審員を選定し、(2)裁判官と陪審員の面前で両当事者から証拠の提出(立証)をし、それぞれの立場で法廷に提出された証拠に基づき弁論し、(3)裁判官が陪審員に対して、説示を行う。
 説示とは、陪審に対して当該事件に適用すべき法規の説明をし、陪審の検討すべき事実上の問題点を指摘し、法廷に提出された証拠を要約して述べることである。
 「法律問題は裁判官に、事実問題は陪審に」が陪審制における裁判官と陪審の職務分担である。陪審は裁判官が説示において述べた法規についての指示に従わなければならない。
 英国ではコモン・ローの原則により、裁判官は自分の意見が陪審を拘束しないことを明示した上で、法廷に現れた証拠価値について自分の意見を述べることができるとされている。それによって素人の陪審の誤りを防止し、陪審裁判の適正さを確保することができるとする。
 しかし米国では、18世紀末から19世紀にかけて、当時の米国民主主義の影響を受けて、裁判官との関係において陪審権限を拡大し、裁判官との関係において証拠価値について意見を述べることを禁止する州が増えた。現在では、ほとんどの州が憲法・法律または判例法で述べることを禁止している。
 しかし、連邦裁判所では、依然としてコモン・ローの法則を堅持している。
 裁判官の説示が終わってから、(4)陪審員は通常、別室に移動し、陪審員だけで秘密の評決をし、(5)その評決を公開の法廷で裁判官に報告し、(6)評決が不合理なものでない限り、その評決に従って判決がなされる。民事事件における損害賠償は陪審が評決で決めるが、刑事事件における量刑は裁判官がする。もっとも米国では刑の量刑をも陪審がすることを認める州もある。
 次に(7)陪審の評決が、普通の人であれば到底そういう評決をし得ないほど不合理であると考えられた場合には、新たに陪審員を選定し直し、その陪審の前で証拠の提出など上述の手続きが繰り返されることになる。

5 裁判官の監督権限
 前述のように、陪審裁判においては「法律問題は裁判官に、事実問題は陪審に」であって、証拠を評価して事実を認定するのは陪審の職務であるが、その陪審の事実認定が不合理なものとならないように監督することが裁判官の職務となる。再審理を命ずることもこの職務の一つの現れであるが、事前にも裁判官はこの監督権限を行使する場合がある。
 例えば、過失を理由とする不法行為の訴えの場合、訴訟の手続きでは、両当事者が交互の立証機会を持ち、まず原告側がすべての証拠を提出し、それが済んでから被告側が証拠を提出する。ここで、英国では原告の立証段階が終わった際に、裁判官が原告からの証拠で普通の人間であれば到底過失があると認定し得ないと判断した場合には、事件を陪審から引き上げて、自分だけで被告勝訴の判決をすることができる。
 米国では、そういう場合(または双方からの証拠の提出が済んだ場合でも)裁判官が被告勝訴の評決をするよう命じている。陪審は形式上評決するのみで、実質的な判断はしないのであって、これを指示評決の制度という。さらに、双方からの証拠の提出が済んでから、裁判官が普通の人間であれば当然過失があると認定すると判断した場合に、原告勝訴の評決を指示することができる、とされている。
 また米国では、 一般に陪審が評決をした後でも、その事実認定が不合理で、普通の人間であれば当然反対の結論に達すると判断した場合には、陪審の評決を無視した判決をすることができるとなっている。要するに、事実認定が陪審の専権に委ねられているのは、法廷に現れた証拠の上から、事実の存否について真に疑いがある場合、すなわちいずれの認定をしても不合理ではない場合に限るのである。

6 全員一致が原則
 陪審の評決は英米とも全員一致が原則である。一致できない場合は評決することができず、その陪審を解散し、新たに陪審員選定の手続きをとって再審理しなければならない。
 もっとも、この全員一致という要件が、近年(1967年)イギリスで刑事事件の陪審について緩和され、10人一致でよいことに改められた。つまり、1人程度の反対を考慮するものである。また、米国でも連邦最高裁判所で、1970年代になって要件を同様に緩和する解釈をするようになった。
 米国は英国に比べ、一般に陪審の地位を裁判官との関係において高めようとする傾向がある。制度的には特別質問とよばれる陪審の監督制度がある。特別質問とは、陪審に対する個々の真実についての質問であって、陪審が評決をする場合にそれに付加して特別質問に対する回答を要求する制度が米国で広く認められている。
特別質問の利点は、評決の根拠を明らかにできることであり、陪審自身も要件事実の存否を自覚でき、評決を誤る危険が少なくなる点にある。英国では陪審の回答を求めることは普通では無く、両当事者及び陪審の同意がなければ、裁判官が回答をすべきと説示できないとの見解がとられている。

7 陪審制の存続意義・悪しき法治主義への反省
 陪審制度の最も重要なメリットは、法の常識化である。陪審は一方において、国民を法に親しませ、国民の法に対する念を積極的なものとする。他方において、法を絶えず一般人の生活と接触させ、一般人の納得できるものとする作用を生んでいる。法律専門家だけで作る法は、論理的には精巧であっても、実際の生活と遊離した極めて技術的なものとなる危険がある。
 他方、陪審制に対して種々の批判がある。批判の重点は、素人の集まりが果たして適正な事実認定ができるのか、裁判官の説示が解釈できるのか、である。また、社会生活が多忙になり、教育があり判断力がある人が陪審員の免除を求める傾向があるので、陪審員の質の低下が心配される。それに加え、時間・経費とも余分にかかるなど実質的な負担もあるが、民事陪審が減少傾向にあるほかは英米とも廃止論はあまり聞かれていない。過去の悪しき法治主義への不信・反省から、法のひとり歩きを防ぎ、法を絶えず一般人の生活と接触させ、一般人の納得できるものとする作用を選択し続けているといえる。

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