探訪 隠れた大邸宅 洋館旧前田侯爵邸

 隠れた大邸宅 洋館旧前田侯爵邸
 京王井の頭線駒場東大前駅徒歩8分 2009年1月4日(日)探訪
 東京都目黒区駒場4丁目3−55
 重要文化財
 地上3階地下1階
 昭和4年建築


《 駒場公園と旧邸の共通の入口 門扉と重厚な石造りの事務室です 09.1.4撮影 》

 旧加賀藩主の系譜をひく前田家の本邸として、昭和4年に竣工した建物です。



《 木立の中に突然現れる土色のレンガ張りの洋館 右45度が美しいです 》

 設計者は東京帝国大学教授塚本靖であったが、実際の設計は技師高橋禎太郎が担当したという。



《 入口上部アーチの丸形にイギリス・チューダー様式が見られます 》

 建物の規模は地上3階、地下1階です。



《 内部は邸宅の雰囲気をとどめ、上流社会の生活を偲ぶことができます 》

 建築面積は1,129.4平方メートルです。



《 洋館には必ず暖炉=マントルピースがある 外国人来賓の接待を意識しています 》

 鉄筋コンクリート造で、外壁はスクラッチタイルを貼り、アクセントに大華石を用い、屋根は銅板葺きです。



《 出窓小部屋上部のアーチにイギリス・チューダー様式が見られます 》

 前田侯爵邸は昭和20年、連合軍に接収され、極東軍司令官の官舎として使われていたが、昭和42年4月、東京都近代文学博物館に衣替えしました。



〈 大理石のマントルピース 部屋ごとに嗜好を凝らし贅沢さを示す 〉

 大正末から昭和初期に建てられた大邸宅建築を代表する一つで、機能性を重視し当時における最新の技術を駆使しています。



〈 大きい客室 部屋数が非常に多いことも迎賓を意識してのことでしょう 〉

 内部の改造は少なく竣工時の雰囲気を良く留め、上流社会の生活を偲ぶことができます。



〈 豪華シャンデリアは上流階級の社交の象徴です 〉

 旧加賀百万石前田家の第16代当主前田利為としなりの本邸として昭和4年に欧州建築の粋をあつめて建築され、当時東洋一の邸宅と称されました。



〈 一番大きなマントルピース 他を圧倒するように部屋の中央に置かれています 〉

 当時、東京帝国大学教授であった塚本靖と担当技師の高橋禎太郎が設計を担当し、駒場の田園の野趣にあわせたイギリス・チューダー式をとりいれます。



〈 一階客室の大出窓 丸味のあるアーチ形はチューダー様式造りです 〉

 チューダー様式は、イギリス後期ゴシック様式を簡略化したもので、玄関ポーチの扁平アーチにその特徴が見えます。



〈 壁紙の模様は中東の唐草模様 洋館でよく使われるが平板で豪華さはない 〉

 チューダー様式とは、15世紀末から約1世紀続いたイギリスの建築様式です。



〈 客室の天井には多数のシャンデリアがあり当時にしては相当明るいです 〉

 この名称は、ヘンリー7世からエリザベス1世までイギリスを支配したチューダー朝(1485~1603)に由来します。


 
〈 2階への階段は幅が十分広い 木彫りの手すりがイギリス風です 〉

 イギリス・ゴシック建築の後期の様式であるパーペンディキュラー(垂直式)に、イタリアやフランスのルネサンス建築の要素が加わった過渡的様式であり、次のエリザベス様式に続きます。



〈 2階の広いホワイエ部分 木彫りのフェンスが丁寧で豪華です 〉

 教会建築では、スパンのわりに張りの高さの小さい、四心尖塔(せんとう)アーチの使用が特徴です。 



〈 2階の置き時計 2階でセレモニーができる広さが用意されています 〉

 外壁には、当時流行したスクラッチ・タイルを貼り、落ち着いた雰囲気を漂わせています。



〈 学習室と称する部屋 舞踏会の練習に使われたのでしょう 〉

 また、内部は一変して王朝風に装飾が施され、各室はイタリア産大理石によるマントルピースや角柱、壁にはフランス産絹織物や壁紙を貼られました。



〈 洋館内に和室がいくつかある 主人の生活はやはり和式でした 〉

 イギリス家具などを配したヨーロッパ調だが、こうした洋風の室内に江戸情緒をのぞかせる唐草に雛菊をあしらった文様なども見られます。



 
〈 2階和室先のベランダ 鬱蒼とした森でプライバシーは守られます 〉

 木の骨組をれんがや漆食で埋めたハーフ・ティンバー式木造住宅もチューダー式とよばれます。



〈 床敷きの洋室 人が多数集まる部屋も用意されています 〉

 明治17年、華族令発布により、前田家は侯爵の爵位を授与されて、百万石大名の威信を保ちました。しかし、隣接して建てられた東京帝国大学の敷地拡張のため、本郷の地も駒場の東京帝国大学農学部実習地4万坪と交換されることになりました。



〈 2階のベランダ通路 右側が広い中庭になっています 〉

 こうして、はからずも加賀百万石大名の子孫の屋敷が、目黒駒場の地に出現することになりました。



〈 中庭側の石造りの装飾 獅子様のコウモリ 建て屋の魔除けだろう 〉

 昭和4年から5年にかけて、前田家16代当主前田利為(としなり)侯爵は、駒場の約1万坪の敷地に、地上3階地下1階建ての洋館と、これを渡り廊下で結んだ2階建て純日本風の和館とを相次いで竣工させました。


 
〈 1階休憩コーナー付近 当時の日本人体形から見てやはり広いです 〉

 使用人も100人以上いたという前田侯爵邸は、当時東洋一の大邸宅と人々の目を見張らせました。 



〈 建て屋内側の外壁 屋根の装飾用の明かり採りが各通路から見えます 〉

 しかし、栄華も永くは続かなかった。昭和16年に第2次世界大戦が勃発すると、翌年には、ボルネオ方面軍司令官として従軍中の利為(としなり)侯が、不慮の死を遂げてしまいました。



〈 窓にはめたステンドガラスも外壁と合わせて地味です 〉

 一家は他へ移り、戦局がますます厳しくなる中で、昭和19年、邸内の一部を譲り受け、中島飛行機の本社が疎開してきました。



〈 木彫りの模様も唐草様の繰り返しが多用されています 〉

 そして、終戦。前田邸は、昭和20年9月、連合軍に接収され、第5空軍司令官ホワイトヘッドの官邸となり、続いて26年4月からは、極東総司令官リッジウェイの官邸として使用されました。



〈 カーテンや絨毯の色は淡い色 屋根や外壁と合わせ重厚過ぎないです 〉

 その後、富士産業(旧中島飛行機)を経て、昭和31年に和館及び一部の土地が国の所有となり、翌年、ようやく接収が解除となりました。



〈 中庭側から見た外観 ゴシック様ではあるが中東の雰囲気があります 〉

 昭和38年、旧前田邸に公園を建設することが決定し、翌年、洋館を東京都が買収、国有地については、東京都に無償貸与され、都はさらに民有地を買い足して、昭和42年、旧前田邸は東京都立駒場公園として生まれ変わりました。



〈 石造りの装飾鉢 植物の紋様のようだが豪華さはないです 〉

 その後、昭和50年に公園の管理が目黒区へ移管されてました。



〈 マツ・ケヤキ・カシなどうっそうと茂る駒場野の林を生かした奥庭です 〉

 公園の完成に先立ち、昭和42年には、洋館をそのまま利用した都立近代文学博物館と、和館に隣接して新築された財団法人日本近代文学館とが、同時に開館しました。和館も、当時の面影を良く残しており、1階は無料休憩所として開放されています。



〈 隣接する和館も公開されています ここだけ京都の建て屋のようです 〉

 <評価 75クラス>
 邸宅洋館には珍しく日本人建築家の設計です。各部屋も広く豪華さはうかがえます。東洋一の大邸宅と言われ部屋数は多いが、造りは旧岩崎邸に及ばない。加賀百万石大名の子孫の前田公が威信を保つために建てたような感じがします。駒場公園内という限定があるせいか建て屋回りが狭く、美しい外観を十分見ることができない。

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