私の気になる人・落ち行く愛の狩人・高樹のぶ子

1946年、山口県防府市生まれ。
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東京女子大学(短期大学部)を卒業後、 結婚して福岡市に転居したが、
まもなく離婚し、これをきっかけに小説を 本格的に書き始めた。
大学時代の恋愛体験をモデルにした短編「その 細き道」で芥川賞候補となり、
1984年、「光抱く友よ」で第90回芥川賞を 受賞した。
以後、新聞連載小説「百年の預言」、女流文学賞を受賞した 「水脈」、
谷崎潤一郎賞「透光の樹」などで、恋愛小説の第一人者となっ た。
芥川賞選考委員。
著作
1984年 芥川賞(第90回) 「光抱く友よ」
1994年 島清恋愛文学賞(第1回) 「蔦燃」
1995年 女流文学賞(第34回) 「水脈」
1999年 谷崎潤一郎賞(第35回) 「透光の樹」
2006年 芸術選奨文部科学大臣賞(第56回) 「HOKKAI」

いつか語りたかったこと
 20代で出会った人については、前の結婚生活の中でのことでもあり、なかなか話しにくいところもありました。
 でも、いつかだれかに、語っておくべきだと、ずっと思い続けてきたことがあります。
 ある場所で知人になった当時50代の男性が、お酒を飲んで一度だけ話したことです。
彼は、兄弟ともども、南の島から東京に出てきて、私立の大学を卒業して、ごくフツウのサラリーマンでした。地味で平凡で無口で、背も低い人でした。
 なぜその人と知り合いになったかは、パスさせてください。
 彼は沢山焼酎を飲みました。
そしてあるとき、自分が陸軍の兵隊だったときの話をしました。
 中国奥地で、掴まえてきた中国人を、尋問と称して両足を縛り、両足の間に棒を通してぶら下げて、下から火で炙ったのだそうです。
熱いので、必死で上体を曲げて、棒にしがみつく。
しかし最後には、叫び声をあげて、長く垂れてしまう。すると髪の毛に火がつく。
 そうなることを「伸びる」と言ったか、「落ちる」といったか、もっと別のコトバだったかもしれませんが、ともかく彼は、その状態を特別のコトバで言い表していました。
そういうことが、ある程度日常的にあったから、そのコトバも存在したのだと思います。
 相手が自分と同じ人間だと思わないから出来ることです。
サルに対してだって、フツウは出来ない。
 彼は、日本に帰ってきて、結婚しますが、セックスのとき、突然「伸びる」ときの叫び声が蘇ってきて、何度も不全状態になったと、恥ずかしそうに言いました。
 人間らしさを取り戻すことは、生理の深いところに傷を負うということでもありますね。
 でも、誰かに話したことで、彼はちょっとだけラクになったのかも。
で、私もここに書いて、ちょっとだけラクになりました。
何だか、あまりに残酷な話で、口から出しにくかったのです。
 もうひとり、彼は深川の木場で成功していた資産家で、「ケヤキは牛肉より高価だ」と言ってた、テニス好きのひとでした。
 彼も、親しくなってずいぶんしてから、南の島での恐怖を話してくれました。
友人と一緒のときには、背後に気をつけないと、背中から撃たれる、というのです。
仲間が仲間を撃つ時は、さすがに正面からは撃てない。だからいつも仲間の前を歩かないようにする。
なぜですか?
殺されて食べられるからだと。
 彼がどのようにして生き延びたかは、わかりません。
問うこと自体が残酷なことかも、と思います。
 誰しも辛いことは忘れたがる。
わすれることは恩寵だと思う。
 けれど、火で炙られ殺された人たちの肉親は、60年たっても忘れませんよね。
60年たっても70年たっても、忘れない人たちがいる、ということを、私たちは忘れてはならないのでは、と考えます。
 北朝鮮に拉致されたことを、何十年たっても、忘れないと同じことです。
もちろん、広島長崎もです。
 20代で戦争の現場からの「ナマの話」を聞いたものとして、(彼らは作り事を言う必要のない、できれば忘れていたい、平凡な男たちです)このブログを読んで下さる人たちに、話したかった。
 少し、肩の荷がおりました。     

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