私の気になる人・行政法の革命児・原田尚彦

行政法の革命児・原田尚彦
1934年 東京都出身の法学者。専門は行政法。東京大学名誉教授。1958年東京大学法学部卒業。立教大学法学部助教授、東京大学教養学部教授、一橋大学法学部教授、早稲田大学政経学部特任教授を歴任。
画像
著作
『行政法』(2005年)
『行政法要論』(2005年)
『新版 地方自治の法としくみ』(2005年)
『訴えの利益』 (1973年)
「空港公害と被害者救済」『行政判例百選II』(1999年)

神奈川県川崎市文化賞受賞
学術
行政法の権威 環境行政への貢献
原田尚彦さん 70歳 川崎区
市の環境行政の推進にあたり、全国に先駆けた提言を積極的に行い、これらの提言を受け、市が取り組んできた公害防止行政やアセスメント行政などは、他市の手本とされてきました。
また、市民オンブズマン制度や会議公開の枠組みの確立に尽力し、市民に開かれた市政の進展に多大な貢献をしています。

「公害法の動向とその理念-企業の社会的責任の明確化」,『財政経済弘報』(1970) 
 問題は、これらの公害防止事業に要する費用を誰が負担するかということである。一部には、公害はもっぱら産業に起因するから、防止施設の建設費は、いわば不法行為に基く損害賠償の前払いとして、全部企業が負担するのが当然であると主張する向きがある。これに対し、産業界の側には、逆に、今日の公害は公害予防を怠った国・地方公共団体の責任であり、とくに企業は産業活動の代償として多額の法人税・事業税を納付しているのだから、公共事業費は一切の公共の負担とするのが当たり前とする空気があるようである。しかし、前者は、両方の主張共に極端に失するとおもう。不法行為責任の前払いとして企業負担を根拠づけるには、企業活動が直接社会に被害を発生させるものであること、および当該予防事業がその被害の予防に確実に実行を発揮することを厳密に証明しなければ、企業側の納得は得られないであろう。後者の主張については、法人税や事業税が公害発生を前提としたうえでの償金でないことを思えば、反論するまでもない。このようにみてくると、公害防止事業の経費は公共の資金を中心にし、産業界の負担金をこれに付加してまかなうのが、われわれの公平感覚に合致するであろう。けだし、企業活動係に人の健康や財産に実害を発生していないとしても、多かれ少なかれ地域の環境汚染をもたらしている以上は、産業界が公害防止事業の最大の原因者であり、同時にまたかかる事業の最大の受益者であるわけであるから、この事業に協力することは、まさにその社会的責務の一環といわなければならない。

「住民投票のデメリット」『地方自治の法と仕組み 全訂三版』(学陽書房)
しかし、直接民主主義への回帰、とりわけ住民投票の多用化が地方自治の永続的発展の視点からみたとき、地方自治の活性化・持続的発展の妙薬となりうるかは疑わしい。住民投票制度には、いくつかの点で憲法や地方自治法に抵触する疑いがあるが、その点はさておくとしても、住民投票は元来かなりプリミティヴな政治的意思統合の技法であり、純然たる政策論としてみても、複雑かつ専門技術化した現代の自治行政上の難題を決定するのに、ふさわしい手続とはいいがたいところがあるからである。
 ちなみに、諸外国のこれまでの経験に照らしても、住民投票の場合には、①十分な資料や情報にもとづく冷静かつ多面的な討議が浸透しにくく、いきおい煽動家やマス・コミによる大衆操作の影響を受けやすい。②住民投票の動向は、一時の情熱や偶然的要素に左右され、政策的に一貫性を欠いた予想外の結論を招くことがある。しかも、③国民の声だとはいえ、勝敗はたいてい僅差で決まり、かえって国民の間にしこりを残す結果になることが多い。にもかかわらず、④住民投票の結果に責任をもつ者は存在しない(集団が統合を維持していくには、非難の対象となる「ムチ打たれボーイ」がいわばガス抜きの手段として必要とされる)。⑤住民投票でいったん事が決まってしまうと、再び住民投票にかけなければこれを覆すことが困難で、事態が硬直化するなどの欠陥が露呈してきた。スイスなどでも住民投票への情熱が薄れ投票率がかなり低下してきているといわれている。

「専門家を代表者に選任する間接民主主義によらざるをえない」
住民自治の理念を実現するには、地城住民が住民総会とか住民投票といった直接民主主義の手段に訴えて、直接行政に参加するのが、もっとも直裁的な方法である。理念的・観念的には、直接民主主義が、地方自治の理想とみられることであろう。
 しかし、現在のように自治体の規模が広域化してくると、技術的にみて直接民主主義の実現は困難である。それに加え、社会の複雑性が増し職能の分業化が進んで、日常生活においても専門化した技術や知見が要求される現代の高度技術社会においては、住民が直接民主主義の方式で地方行政に参与し、個々具体の行政案件について一貫性と展望性をもって賢明な選択をしていくことは、容易でない。地方行政においても、素朴な素人行政は、もはや過去のものとなった。地域の利益を守るには、好むと好まざるとにかかわらず、それにもっともふさわしい専門家を代表者に選定して、一定期問、これに行政を委ね、総合的視点から代表者の責任を問うという、代表(間接)民主主義の方式によらざるをえなくなっている。

「専門分野を専門家に委ねた方が良い」
現行の地方自治は、間接民主主義を基本とし、直接民主主義の諸制度は、間接民主主義体制を補完しその欠陥を矯正するために限定的に認められた例外的制度にとどめている。だが、最近の風潮のなかには、地方自治の主権者は住民であるとの理念を直線的に適用して、地方行政に関する重要案件はできるだけ住民意思の直接の発動によって決定すべきであるとし、地方自治行政の重要課題については、住民投票の導入を推奨する風潮がみられる。しかし、そうした見方が、政治的運動論としてはともかく、法律論として無条件に妥当といえるかは疑わしい。
 というのは、近代国家で間接民主主義が発達したのは、たしかに物理的ないし技術的に直接民主主義の実現
が困難になったためである。だが、そのほかに、高度に専門分化し分業体制がとられる現代社会においては、それぞれの専門分野を専門家に委ね、総合的視野に立ってこれを一貫して実施させるのが妥当であるという基本認識があったこともまた忘れられてはならない。現行法のたてまえからみても、個別重要課題をアド・ホックに住民投票に委ねて決定するのは、長や議会の権限を侵害し制度の基本を揺るがせにするおそれがあり、その適法性に疑問がもたれる。さらに政策論としてみても、一貫性、展望性に富んだ総合行政が個別問題ごとの住民投票によって維持できるかどうか、健全な地方自治の発展が持続可能かどうか心許ない。

「国民は政策の総合的批判者ではありえても、個別の政策を決定する能力はない」
こう考えると、現在、地方自治行政の停滞と機能不全を打破するために望まれるのは、直接民主主義への回帰というよりも“間接民主主義の活性化”である。
 住民投票もときにはそのためのショック療法として有用かもしれないが、複雑多面化した現代社会においては、国民(フツーの市民)は政策の総合的批判者ではありえても、一貫性・展望性をもって個別の政策を企画・立案・決定する余裕や能力をもっていない。住民参加によって官僚機構に新風を吹き込み、政策論議を実り多きものとすることは、もとより大切であるが、安心して住める地域社会を形成する権限と責任は、長と議会そしてそれを支える職員に託されているとみるほかはない。自治体関係者が、自信をとり戻し、その責任と決断とにもとづいて与えられた制度・機構を最大限に活用し、住民福祉の最大化をはかる実践的努力を地道に積み重ねるところに、持続的でたくましい地方自治の起動力が見出されることを忘れてはならない。住民には為政者の動きをジックリ監視し適正に批判して本物を見極める眼が求められる。

ブログ気持玉

クリックして気持ちを伝えよう!

ログインしてクリックすれば、自分のブログへのリンクが付きます。

→ログインへ

なるほど(納得、参考になった、ヘー)
驚いた
面白い
ナイス
ガッツ(がんばれ!)
かわいい

気持玉数 : 0

この記事へのコメント


この記事へのトラックバック