死刑停止の時期到来

死刑停止の時期到来
1 人権は常に国際問題
 19日付け朝日新聞に、国連が18日、死刑の執行停止を求める総会決議を初めて採択したと、記事があった。「世論の高い支持」を理由に死刑制度を存続している日本は、今年は年間で77年以降最多となる9人の死刑を執行するなど、世界の潮流とは逆行。国際的な孤立を深めているとある。これに対し、例によって鳩山法相は語気を強め、「世論には死刑制度や死刑執行にかなりの支持がある。国連の決議があっても我が国の死刑制度を拘束するものでは、まったくない。死刑を存続するかしないかは内政の問題だ」という政府の立場を改めて強調したという。
 しかし、鳩山発言は間違いだ。死刑を存続するかしないかは日本国内だけで片づける問題ではない。人権は、常に国際問題であり、まして人の命の問題は、国際社会の意見に常に傾けるべき問題である。


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《 極端な利己主義が死を決意すると巻き込みや無差別殺人を生む 自分が死ぬのなら世の中がどうなろうとよいと思ってしまう 看過できない 武器の威力は昔のナイフから今の核爆弾まで増大している 》


2 死刑制度を停止し、社会貢献に向かうべき
 死刑廃止論は従来、人が人の命を裁けるはずはないという感情論に依拠しているが、それだけでなく、死刑を宣告された被告人の立場を考える必要がある。人は死刑を宣告されるほどの行為をした場合、例えば殺人であれば、自分がされることつまり死ぬことを思い描くという。これを根拠に応報刑主義が容認されている。しかし、死刑を宣告された被告は、人生をあきらめ無力に生きるか、自暴自棄になるだけだ。これでは重大犯罪を無力感の意識に巻き込むだけで、社会や人の改善には結びつかない。むしろ、犯罪者には死を求めるより、懲役刑つまり社会に貢献する労働・役務を求め、犯罪の事前や事後の心理を社会に対して前向きにすべきではないだろうか。

3 人の究極の償いは死ではない
佐世保市で発生したスイミングクラブの銃乱射事件も死刑制度を再考すべき点を示唆している。犯人は、当初から自殺する計画で、知人を殺害しているようだ。人の究極の償いが死としたら、犯人は最低の償いはしたと思ってはいないだろうか。孤独な人間は、自分が世の中から消滅すれば、世界が消滅してもかまわないと一瞬でも思いがちである。その気持ちは憎い相手だけでなく、親しい人をも巻き込みたいと思ってしまう(無理心中のように)。
 人の究極の償いは、死ではなく、死ぬまで死ぬほどの社会に貢献する労働・役務を課すことという、社会規範を早急に確立すべきである。自殺、殺人は根は同じであり、死の価値観を変えることが、未然防止につながる。
 

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