私の気になる人・日本文化の先導・山崎正和

昭和9年生まれ    
劇作家・評論家、東亜大学教授             
代表著作として、戯曲に「世阿弥」「オイディプス昇天」、
評論に「柔らかい個人主義の誕生」「大分裂の時代」など。
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Q1 高度情報通信社会における「豊かさ」についてどう考えるか?
山崎  国の豊かさとは「人間」である。昔からそうではあったのだが、今ここに来て特にそうである。そして、この場合の「人間」の意味が、「指先の器用さ」から、今はやや「頭」の方に移ってきた。その頭の豊かさの中に、狭義の「知力」と「情操力」と両方がある。
国力というものを考えた場合は、やはり「知力」。知的発信力が最大の中心である。日本が今強いと言われているアニメ・ゲームなどの感性的なものを無視するつもりはないが、科学技術の発信や、人文科学だったら理念の提唱といった知力のほうが大事である。

Q2 科学技術はともかく、「理念」などというと日本がもっとも苦手と言われる部分である。
山崎  日本が「理念の提唱」をすべき一例を出すと「CPU(コンピュータの心臓部・中央演算装置)」。
 新しく高性能のCPUが出ると、旧タイプのコンピュータは時代遅れになりゴミになる。こうした廃棄物の問題で、日本のコンピュータメーカーひいては我々市民も多大な負担を払っている。しかし、CPUを作った会社、殆どの場合米国企業であるが、こちらは涼しい顔で利益を上げるのみ。こういう時「公正とは何か?」という新しい理念を提唱しなければならない。製品を作ったメーカーがリサイクルの費用を負担するのであれば、本来は、部品で利益を出している海外の企業も含めて負担を考えるべきではないのか。
つまり、技術的に遅れているから頑張らなくてはという問題と同時に、新しい社会的公正の概念の問題もあるのだ。日本人はもっと理論構築をして「CPUのメーカーも日本におけるリサイクル費用の一部を負担しろ」と言ってもよいと私は思うのだが、誰も言わないし、言う力がない。

Q3 日本は「言う力」、すなわち情報発信力が弱いとよく言われるが、やはりそう思うか?
山崎  私はここ3年、アメリカとドイツの学者と組んで、「CIC」という世界各国の主に思想面についての評論の要約を英語にして世界中に配るという活動をしている。この活動を通しても、日本の発信力は弱いと感じている。こういう中で外交・国際交渉をしているから日本の官僚は苦労をするわけで、いつも向こうの土俵で相撲をとっている。
同じ新しいメディアといっても、アメリカの若者は電子メールが中心で、つまり、書き言葉で交信しているのに、日本の若者は携帯電話でひたすらしゃべっている、との報告を聞いて不安になった。日本の若者の話し言葉は、ただの垂れ流しで、明らかに意味が分かりにくくなっている。私はテレビに字幕が増えたという現象は、話し言葉だけでは意味が分からなくなっている現象のあらわれではないかと見ている。

Q4  「書く」のと「話す」のとでは、そんなに違いがあるものなのか?
山崎  どんなに中身がくだらない事でも、字で書くというのはある範囲の自分の発言を見渡す事になる。この事は大きい。しゃべった事は「画」にならない。例えば、電話で30分しゃべった事を再現するのは至難の業だ。しかし、書くと自分に見える。この作用はずいぶん違うと思う。こういう状況だと、日本と欧米の間に、文字の読み書き能力という本来の意味での「リテラシー」の差が出て来るのではないか。
また、今の若者がごく短時間しか集中できないという事が指摘されているが、もしそれが本当なら、感性的な事はよくても、「こうだから、こうだから、こう」といった知的な発想は無理だ。

Q5  感性的なものよりも、やはり知的な事が重要であるのか?
山崎  皆、コンテンツが大事とよく言うが、コンテンツのコンテンツとは我々の頭の中身しかない。私は、日本がアニメ・漫画・ウォークマンといった若者文化・大衆文化のレベルで魅力を発揮するのに決して反対なのではない。しかし、それだけの国はかえって軽蔑を招く。
核になるものがあればこそ、アメリカは尊敬されたのだ。我々は、何もハリウッドとコカコーラだけでアメリカを尊敬している訳ではない。ハーバード大学があり、スタンフォード大学があり、無数のノーベル賞や新しいアイディアが次々と出てくる。革新的な科学技術だけではなく、貿易の不公正競争であるとか、「鯨は捕っちゃいけない」であるとか、考え方の枠組みがみんな向こうから来て、日本はおたおたしている。

Q6  インターネットなどの新しく出現している電子メディアは、我々の知的発信力を強くするのに役に立つと思うか?
山崎 まず、今言っている「電子メディア」を一体どう評価すればよいかが難しい問題である。
昔、文字が発明された時、人間の思考や文明は革命を起こしたが、それに類する程のものなのか? それともグーテンベルグが活字を発明したレベルの変化なのか? あるいは封筒と紙程度の事なのか? 手で書きながら考えるのと、ワープロを使いながら考えるのは違うのか?私自身の場合は、ワープロを使うと文章が締まるような気がするが、そのくらいの変化では上等の万年筆程度ではないか。
科学技術者などは、コンピュータを手に入れた事で、どのように思考が根本的に変わったのだろうか? 計算能力の格段の進歩で思考も変わったと想像しているのだが、もっと事例が知りたい。例えば、「複雑系」という新しい学問は、コンピュータがなかったら生まれなかった学問。そういう意味では単なる道具ではなく、人間の頭に入り込んでいる。
ただ、文字ほどすごいかというと、そこは判らない。「無文字社会」と「無コンピュータ社会」を考えた場合、それは「無文字社会」のほうがとんでもなく違うだろう。例えばコンピュータの中にも文字は多数使われている。そう考えると、「文字ほどではないが、万年筆以上のものである」といった中間的なものだろう。
文字以外で言えば、コンピュータ・グラフィックスが人間の思考にどういう影響をあたえるかもおもしろい問題だと思っており、是非、専門の人に聞いてみたい。

Q7  情報化時代の中で、どのような人材をどう育てていかなければならないのだろうか?
山崎  今、電子メディアの進歩に対して、我々が何をすべきかというと、補うべきものが2つあると思っており、その一つが「知識」だ。著書「大分裂の時代」の一番のテーマでもあるのだが、情報化によって、人間の「知」の内容が、断片化され、細分化され、瞬発化され、どんどん流れている。私は「知」というものを3つに分けて考えていて、1つは断片的な「情報」、それが脈絡をつけ体系化されたものが「知識」、そして預言者や村の長老が伝えていたような直感的なものが「知恵」である。
例えば、「最近火事が多い」は「情報」、「乾燥すると火事が多くなる」となると「知識」、「知恵」とは「火の用心」といったこと。それら3つのうち、「情報」と「知恵」ばかりに分化して、真ん中の「知識」が危機にさらされているのである。
先程の「ごく短時間しか集中力が持たない最近の若者」という話になぞらえると、電子メディアの時代になり、断片的な「情報」は山のように積み重なっている。しかし、1つの編み目になり体系化され1つの求心力を持った「知識」がどんどん死んでいる。「知識」は短時間で扱えるものではない。「情報」の反対側で同じく増殖しているのが、「知恵」だ。占いとか新興宗教とか、下手をすれば安易な正義感とかもそうである。
例えば、「鯨はかわいい。だから捕鯨は止めましょう」、これは一瞬で言えるが、非常に危険。何で鯨だけ特別か、牛や豚はどうするのか、という話を捨てて、かわいい映像だけを見せて禁止する。イルカが跳ねるところとか、それは映像にして見ればかわいい。しかし、扇情力はあるが、正しいかというと別問題だろう。

Q8   2つあると言われた「補うべきもの」の1つが「知識」。では、もう1つとは?山崎  「身体的接触」の問題だ。メディアが進展すると当然、人間の身体性が低下する。つまり、ここで話しているのも、地球の裏側で話しているのも、いわば同じ距離になる。しかし、やはりそこで抜け落ちるものがあって、同じテーブルで同じ空気や景色を共有しながら話すのと、ラインの両端であるのは違う。この違いをどう考えればいいかというと、情報というのは必ず「周辺」「にじみ」を持っている。エレクトロニクス情報とは、その「にじみ」を切り落とす方向に動くのである。技術革新で拾おうとはしているが、やはり切り落としている。
例えば、電話は顔が見えない、テレビ電話になって顔が見えるようになっても、空気やお互いの室温みたいなものは共有できない。もちろん、後ろに回って背中を叩く事も出来ない。たとえヴァーチャル・リアリティになって、触るような事が擬似的に出来るようになったって、作った人の主観が入っている。つまり、作った人が起こりうると考えた事は再現されるかもしれないが、予期せざる事は入っていない。
しかし、実際に2人の人間がここにいると、ありとあらゆる予期せざる情報が入ってくる。だから私は、直接の身体的接触による人間関係、あるいは現実認識を作るための場所を作らなければいけないと言っている。そうすると、メディアである都市の問題もクローズアップしてくる。

Q9   「メディアである都市」とはどういう意味か?
山崎  私は「都市というのは最大のメディアである」と何十年も言い続けてきた。都市を、生活あるいは生産の場所だというのは間違いである。そんなのは副次的な意味で、都市は本来、情報発信のメディアだったのである。
はじめは、御神託とか王様の権威を増幅する装置だった。
例えば、田舎の人が都市に出て来て、王宮や仕えている人を見てその偉さを思い知るといった、1つの情報発信装置だった。中世の終わりから近世になると、都市内で商品の価格が決まるようになる。農村で作った作物を都会に持っていかないと値段が付かない、そこで付いた値段が農村へも伝わっていく。価格を決める事は、同時に流行を決める事も意味する。流行するもの、つまり多くの人が欲しがるものは、高くなるのだから。こんな具合に、本来都市は情報発信・伝達のメディアであったが、ここ200年だけ、おかしくなっている。工業化社会で都市の中で物を作るようになった。そんな事は今まで一度も無かった。何百万人も住んでいる所で、その上、物を作ったら大変な事になるわけで、だから大都市問題が起きた。
今、工場は世界の中の田舎的な場所に移りつつあり、また都市は情報の発信地になる。依然として都市は流行を生んでいる。流行は誰かが作るものではない。都市の生活の中、「あっ、今はミニスカートか」と相互発信で作るものだ。

Q10   情報化の進展によって、我々の社会はより豊かになるのだろうか?
山崎  私は、いわゆる高度情報化それ自体が人間を幸せにしたり、不幸にしたりする事はないと思っている。要するに「使い方」の問題で、例えば、車社会が来て、人間は不幸になったか幸福になったか言い切れない。早く行ける事と早く行かなければならない事が背中合わせなのだから。
電子メールも一緒で、大量な処理が「できるようになる」一方、「しなければならない」という問題が出てくる。つまり、技術発展は人間の文化にとってニュートラルな存在なのだ。
では、我々は何をしなければいけないかというと、情報化が進んでいる方向を見定めて、利点は大いに満喫しながら、足りないものは補うというバランスを保つ事だ。それは、「車が増えたら交通規制」といった、きわめて常識的な当たり前の事である。

Q11   情報化・グローバル化が進展しているが、国家の役割はどのように変化していくのか?
山崎  大変難しいが「国家の役割」は、私が昔から言っている通り、市場がグローバル化しようとも、第1に富の再配分、つまりは福祉。第2に資源とか環境とかの、市場が解決できない未来の問題だろう。これらは国家、あるいは国家の援助を受けた限りでのNPOが受け持つしかない。ちなみに、NPOも大事だと思うが、国家が保証しているから成り立っていて、私は国家なしに活動出来るとは思っていない。
国家の中で特にどの部分が大事になるかというと、法や制度は先進国では共通化していく。しかし、その履行や実効性は国によって違う。例えば、同じ税法でもきちんと取れている国もあればそうでない国もある。それは単なる腕力ではなく、国民が「この国は公正である、税金の払い甲斐がある」と思うか、という事を含めた実効性が大事だ。そう考えると、今ほど官僚が大事な時はない。政治家は普遍的な合理性で動くだろうが、国家の状況に即した政策提案を行い、実現するのは現場を知っている官僚しかいない。

Q12   日本の進むべき方向を行政が考える上で、何か指摘があれば教えて欲しい。
山崎  「これからは国の魅力みたいなものが大事だよ」いう考え方は、国際的な学者が言い出すかなり前から、実は日本でも違う形でさんざん議論してきた事だ。例えば「エコノミック・アニマルではダメだよ」などと。そこで日本は「じゃあ、援助でもするか」とばらまいてみたけど効果はあがらない。じゃ次は、と「留学生10万人計画」と言ってみたけれど実現していない。今まで、口では大事大事と言いながら、おろそかにしてきたのだ。同じ事を言ってもしょうがないのであって、もう一歩踏み出して欲しい。
例えば、日本の発信力強化という観点から考えてみれば、アジア・環太平洋の知的センター的なものを、衛星メディアを用いるとか、あるいは講座を英語で発信したり、英語字幕を付けるなど、何とか工夫する事によって作れないだろうか。こういう取組みによって、かなりの知的発信力になると思うのだが。

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